真・古事記の邪馬台国(読書日記)
2021年 08月 31日

「古事記の邪馬台国」と「真・古事記の邪馬台国」があって、「真」の方はツアーで語ったことが加筆されている模様。間違えて両方購入してしまった…。
竹内陸泰さんは、竹内巨麿の竹内文書が有名になりすぎてしまったので、正統竹内文書の内容を世に広めるというお役目があったらしい。
いつも「こんなことまで話しちゃっていいの?」という感じだったけど、偉ぶるわけでもなく、日本が大好きという「愛」がハンパなかった方でした。
チャンネルくららかどこかで、靖国神社の話をされている時に感極まって泣いてしまい、「泣いちゃいました」と言っていたのが印象的で、本の中に紹介されてた、
「万世の 五色人(イイロヒト)の祖 日の本の 国を譲りて命を捨てん」
という歌を読んだ時、覚悟のようなものを感じてドキッとしました。
さて、正統竹内文書の内容はというと、年号がまず違う。一般的には、神武天皇即位はBC660年とされていますが、口伝では57年とのこと。うむ。
天照大御神から紹介するとこんな感じ↓
帝王日嗣132代:天照大御神
帝王日嗣133代:月夜見命
帝王日嗣134代:須佐之男命
帝王日嗣135代:御倉板挙神
天忍穂耳尊
瓊瓊杵命
彦穂々出見尊
BC50年代:鵜葺草葺不合、五瀬尊
BC27年:初代ローマ皇帝アウグストゥス即位
8年:前漢滅亡、25年:後漢成立
30年?:キリスト処刑
45年:インドにクシャーナ朝興る
57年:1神武天皇即位、倭奴国王の金印
67年:仏教が中国に伝わる
75年:2綏靖天皇即位
107年:3安寧天皇即位、倭国王帥升(すいしょう)が中国に使いを送る(後漢書東夷伝)
124年:4懿徳天皇即位、米豊作
140年:5孝昭天皇即位、倭国大乱始まる
157年:6孝安天皇即位、大乱状態
171年:7孝霊天皇即位、大乱状態続く
184年:黄巾の乱
186年:8孝元天皇即位、大乱ほぼ収まる
204年:9開化天皇即位、二度目の東征。日巫女の時代
205年:朝鮮に帯方郡設置
220年:10崇神天皇即位、二度目の東征に成功。四道将軍
221年:秦の始皇帝、中国を統一
226年:ササン朝ペルシャ興る
254年:垂仁天皇即位
304年:景行天皇即位、竹内宿禰を棟梁の臣とする
天照大御神と須佐之男命の誓約

天照大御神は大国主命が治める出雲を譲らせ、大和を治める支配者として息子の瓊瓊杵尊を派遣。
山幸海幸は兄弟の話ではなく、海の覇権を争って海幸彦が負け、山幸彦に仕えたという話。
豊玉姫や玉依姫との婚姻の話は、海の支配者の大綿津見神との同盟がどれほど重要だったかを示している。
天照大御神は世襲名で、天照大御神を降ろす巫女のこと。当時の天照大御神は万幡豊秋津師比売(栲機千々姫)で、秋津は本州のこと。
その父親の高木神(高魂神)というのは高御産霊神の別名で、高御産霊神を降ろすことのできた人のこと。帝皇日嗣では、初代が天之御中主神で、帝皇日嗣二代が高御産霊神。
他にも、天忍日命は神狭日の子、天神立命はコモリの長男、熊野楠日命は宗像の娘とアマテル(男神)の子供となっています。
ホツマツタヱも色々怪しい。タクハタチチ姫はニギハヤヒのお母さん、秋津姫はイソタケルの奥さんという話もある…。
と言うかびっくりしたのは、東北の日高見国の血統が大和にもちゃんと受け継がれていたこと。日高見は飛騨上かも。
鵜葺草葺不合尊は、日向の国と熊野を結ぶ南海道を制していた海軍大臣で、神社を見ると熊襲との戦いの最前線にいたことが分かる。
神武天皇(佐野命・補佐役。五瀬命が討たれたので、後に統治王に)の兄たちは、五瀬命(統治王)、稲飯命(新羅国王祖)、三毛野命(祭祀王)。佐野の佐は補佐という意味。
出雲は末子相続で、大和は長子相続、政は統治王と祭祀王がセットで行っていた。
五瀬命と佐野命は宇沙、筑紫の岡田宮1年、阿岐の多祁理宮7年、吉備の高嶋宮8年、鳴門の渦潮で宇豆毘古に助けられ、大和の統治王、那賀須泥毘古(日ノ本将軍、祭祀王は安日彦)との対決で、五瀬命が矢を受けて死ぬ。那賀須泥毘古は弩を使っていたのではないか。
那賀須泥毘古と安日彦は徐福の子孫で、神武東征以前、この地に大年命(饒速日命)がやってきた時、那賀須泥毘古は惨敗、圧倒され和平した。大年命は那賀須泥毘古の妹の登美比売と結婚し、大和の王となった。
饒速日命(天火明)は須佐之男命の子供だが、古事記に瓊瓊杵尊の兄(天火明)としても書かれているのは、大和王権の正当性を作るためだったのではないか。
佐野命は熊襲の女王と結婚していたが、大和を統合するため別れ、五瀬命は佐野命を政略結婚させて大和に入れるつもりだったが那賀須泥毘古に反撃にあい、佐野命(神武天皇)が大和を制圧した後、饒速日命を系図に入れた。
佐野命と大年命は一世代違うので、佐野命が大和に行った時は、死んでいたか病気だったか。
大年命は大国主命とよく一緒にいたので同一人物とされるが別人。大国主命は多分、外国人。
大国主命は須勢理比売と結婚し、須佐之男命のあとを継ぐことになるが、須勢理比売の兄弟がそれを許さず、五十猛命(大年命の兄)を頼って熊野に逃げてきた。それで大年命とも仲良くなった。
大年命は大物主命。物部の主だから大物主命。大国主命は治水や都市計画で出雲の国を大国にしたから大国主命。
神倭伊波礼毘古が道に迷い、高皇産霊神が建角身命に道案内してやれと言い、建角身命は八咫烏に化身して神倭伊波礼毘古を道案内した。
神倭伊波礼毘古一行が旅を続けていると、尻尾の生えた人たちと出会う。尻尾の生えた人たちとは獣のように扱われた人たちのことで、那賀須泥毘古や安日彦の扱いが酷かったということだろう。
呪術的な意味のある久米歌の久米氏や、賀茂氏、犬養氏、渡来氏は神魂系。(久米氏はカンボジアのクメールか?)
那賀須泥毘古は討たれて東北に逃げた。青森には日本中央の碑がある。日本を表す言葉に瑞穂の国、秋津島、秀真の国があり、秀真の国は東北を示していることが多い。
古事記には、神倭伊波礼毘古の戦いの最中、饒速日命がやってきて「天つ瑞(しるし)」を献上し、臣従を誓ったとあるが、帝王日嗣の口伝では、饒速日命は病気だった、別の口伝では亡くなっていたと言われている。大和と出雲を繋げたくてこの話を入れたのではないか。
神武天皇が統治王(政体)、伊須気余理比売が祭祀王(国体)。
彦八井命(多氏の祖)や健磐龍命(息子の速瓶玉命は阿蘇国造の祖)は神八井耳命の息子。
綏靖天皇の后は物部系。物部一族は軍事、財産管理、倉庫管理を行っていた。安寧天皇の時の祭祀王は、岐須美美命(当芸志美美命の息子)。
安寧天皇の末弟、師木津彦命は、伊賀、名張、三野稲置の祖となった。師木津はその港を支配するということで、軍事担当だった。


三人の吉備津彦によって、孝元天皇の時代に吉備は平定され、若日子建吉備津日子命が桃太郎。桃太郎は日本武尊のお祖父さん。裏切るは騙して温羅を切ったこと。
神武天皇の時代、祭祀王は女性(イスケヨリヒメ)で、その後は祭祀王が男性になり、孝元天皇の時、祭祀王を女性(モモソヒメ)にしたら勝てた。
阿礼は歴史と神道を司る役職。綏靖天皇の時、祭祀王だった神八井耳命は多氏の祖。なので、太安万侶や稗田阿礼が古事記を書いた。モモソヒメの母も阿礼だった。統治王より祭祀王の方が上。
スクナヒコは参謀のこと。孝元天皇息子に少名日子建猪心命がいて、異母兄の比子布都押之信命(別名布都御魂大神、物部氏の祭祀権を譲り受けたということ)の息子は屋主忍雄武雄心命で、その息子が竹内宿禰。つまり、竹内宿禰には祭祀権と参謀権が受け継がれている。
壱与(トヨ)は豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)で、その間の男王は比子布都押之信命で難升米(なしめ)は屋主忍雄武雄心命だったのでは?
豊鍬入姫命の時、都は桧原神社。神武東征で大和に移ったが、第4代懿徳天皇の時代、周りの国に狙われ九州に逃げ、第8代孝元天皇の時代に近畿に再び都を移した。倭迹迹日百襲姫命の時は、九州から大和に戻った時代。
箸墓古墳の被葬者は、刺青のある渡来系で、性行為をして神託を得るタイプだったと。対するホケノ山古墳は、もともとの現地の巫女で、大和朝廷は現地の巫女のやり方を踏襲することになり、箸墓古墳の被葬者を殺した。箸墓古墳の被葬者とされるモモソヒメがホトを突かれて死んだというのはそのことでは?西殿塚古墳の被葬者は、その二人よりも強い巫女(サイキッカー)だったという話。
第10代崇神天皇と、紀国造の荒河戸畔(あらかわとべ、荒河刀弁)の娘の遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまくわしひめ、遠津年魚目目微比売)との間に生まれた皇女であると。
荒河戸畔は天道根命(あまのみちね)の4か5世孫で、天道根命は紀氏の祖神、神魂神の5世か7世の孫。ホツマでは、高木神の父が神魂神(ヤソキネ)。
父は大綜麻杵命、母は高屋阿波良姫。どちらも阿波忌部っぽい名前。父方の祖父は饒速日命系、父方の祖母は天津彦根命系。崇神天皇の兄弟には、竹内宿禰の祖の彦太忍信命がいる。


