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真・古事記の邪馬台国(読書日記)

第73世の竹内宿禰、竹内陸泰さんのこちらの本を読んだので読書メモ。

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「古事記の邪馬台国」と「真・古事記の邪馬台国」があって、「真」の方はツアーで語ったことが加筆されている模様。間違えて両方購入してしまった…。

竹内陸泰さんは、竹内巨麿の竹内文書が有名になりすぎてしまったので、正統竹内文書の内容を世に広めるというお役目があったらしい。

いつも「こんなことまで話しちゃっていいの?」という感じだったけど、偉ぶるわけでもなく、日本が大好きという「愛」がハンパなかった方でした。

チャンネルくららかどこかで、靖国神社の話をされている時に感極まって泣いてしまい、「泣いちゃいました」と言っていたのが印象的で、本の中に紹介されてた、

「万世の 五色人(イイロヒト)の祖 日の本の 国を譲りて命を捨てん」

という歌を読んだ時、覚悟のようなものを感じてドキッとしました。

さて、正統竹内文書の内容はというと、年号がまず違う。一般的には、神武天皇即位はBC660年とされていますが、口伝では57年とのこと。うむ。

天照大御神から紹介するとこんな感じ↓

帝王日嗣132代:天照大御神
帝王日嗣133代:月夜見命
帝王日嗣134代:須佐之男命
帝王日嗣135代:御倉板挙神
天忍穂耳尊
瓊瓊杵命
彦穂々出見尊
BC50年代:鵜葺草葺不合、五瀬尊
BC27年:初代ローマ皇帝アウグストゥス即位
8年:前漢滅亡、25年:後漢成立
30年?:キリスト処刑
45年:インドにクシャーナ朝興る
57年:1神武天皇即位、倭奴国王の金印
67年:仏教が中国に伝わる
75年:2綏靖天皇即位
107年:3安寧天皇即位、倭国王帥升(すいしょう)が中国に使いを送る(後漢書東夷伝)
124年:4懿徳天皇即位、米豊作
140年:5孝昭天皇即位、倭国大乱始まる
157年:6孝安天皇即位、大乱状態
171年:7孝霊天皇即位、大乱状態続く
184年:黄巾の乱
186年:8孝元天皇即位、大乱ほぼ収まる
204年:9開化天皇即位、二度目の東征。日巫女の時代
205年:朝鮮に帯方郡設置
220年:10崇神天皇即位、二度目の東征に成功。四道将軍
221年:秦の始皇帝、中国を統一
226年:ササン朝ペルシャ興る
254年:垂仁天皇即位
304年:景行天皇即位、竹内宿禰を棟梁の臣とする

以下は内容メモ。黄色の文字は私の個人的な見解。↓



天照大御神と須佐之男命の誓約

天照大御神と須佐之男命の誓約の真実は、天照大御神の氏族と須佐之男命の氏族が戦ったということ。

正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(別名は天忍骨尊)は、天照大御神の旦那さんで、こんなに勝の字が付くのは負けて亡くなったから。

天之穂日命、天津日子命(瓊瓊杵尊)、活津日子命(火遠理命、彦火火出見尊、山幸彦)、熊野楠日命(鵜葺草葺不合尊)は、二人の間の息子たちとのことで、古事記では兄弟が親子の系図となっていて、系図を長くしたいという意図があった。

夫を亡くした天照大御神は須佐之男命と婚姻を結ぶことになり、その間に生まれたのが、宗像三女神。

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古事記では、この後、須佐之男命は追放され、八岐大蛇を倒し、沢山の子供達に恵まれ、大国主命を末娘の娘婿として迎える。

天照大御神は大国主命が治める出雲を譲らせ、大和を治める支配者として息子の瓊瓊杵尊を派遣。

山幸海幸は兄弟の話ではなく、海の覇権を争って海幸彦が負け、山幸彦に仕えたという話。

豊玉姫や玉依姫との婚姻の話は、海の支配者の大綿津見神との同盟がどれほど重要だったかを示している。

天照大御神は世襲名で、天照大御神を降ろす巫女のこと。当時の天照大御神は万幡豊秋津師比売(栲機千々姫)で、秋津は本州のこと。

その父親の高木神(高魂神)というのは高御産霊神の別名で、高御産霊神を降ろすことのできた人のこと。帝皇日嗣では、初代が天之御中主神で、帝皇日嗣二代が高御産霊神。

高魂神の子には、思金神、万幡豊秋津師比売、天太玉命、天神立命、櫛玉命、天活玉命、天忍日命、三穂津姫命がいる。

ホツマツタヱの系図では、タカキネ(高木神)の子:思兼命、天太玉命、天櫛玉命、ヨロマロ、天日神命(アヒミタマ)、天活玉命、天月神命(アヨミタマ)、栲機千々姫(オシホミミ内宮)、三穂津姫(クシヒコ妻)。
他にも、天忍日命は神狭日の子、天神立命はコモリの長男、熊野楠日命は宗像の娘とアマテル(男神)の子供となっています。

ホツマツタヱも色々怪しいタクハタチチ姫はニギハヤヒのお母さん、秋津姫はイソタケルの奥さんという話もある…。

と言うかびっくりしたのは、東北の日高見国の血統が大和にもちゃんと受け継がれていたこと。日高見は飛騨上かも。



鵜葺草葺不合尊

神武天皇の父、鵜葺草葺不合尊の別名は熊野楠日命で、出雲・スサノオ系の名前。大和系と出雲系が一つだと示す必要があったのでは?

鵜葺草葺不合尊は、日向の国と熊野を結ぶ南海道を制していた海軍大臣で、神社を見ると熊襲との戦いの最前線にいたことが分かる。

玉依姫は海神大綿津見神を降ろす一族の姫で、その国は琉球にあった。琉球は沖縄と台湾(琉求)を含む地域で、一部口伝では海底遺跡のある与那国島も琉球だったとあり、鵜葺草葺不合尊は熊襲退治のためにも琉球との連携が必要で、玉依姫(巫女)と婚姻した。

ホツマだと、豊玉姫や玉依姫はカナサキの子孫のハテツミの血統で、ハテツミは「果て統み」の意。宮崎と鹿児島の国守と書かれています。沖縄の民だったのか?与那国というと海底遺跡でムー大陸とのつながりを考えてしまう。この海の民がサイキッカー集団、八咫烏(賀茂氏)になったと思われ、この辺に隠されたものがありそう。



神武東征

瓊瓊杵尊が日向に天下りし、熊襲を懐柔、神武天皇の時代に東へ。

神武天皇(佐野命・補佐役。五瀬命が討たれたので、後に統治王に)の兄たちは、五瀬命(統治王)、稲飯命(新羅国王祖)、三毛野命(祭祀王)。佐野の佐は補佐という意味。

出雲は末子相続で、大和は長子相続、政は統治王と祭祀王がセットで行っていた。

五瀬命と佐野命は宇沙、筑紫の岡田宮1年、阿岐の多祁理宮7年、吉備の高嶋宮8年、鳴門の渦潮で宇豆毘古に助けられ、大和の統治王、那賀須泥毘古(日ノ本将軍、祭祀王は安日彦)との対決で、五瀬命が矢を受けて死ぬ。那賀須泥毘古は弩を使っていたのではないか。

那賀須泥毘古と安日彦は徐福の子孫で、神武東征以前、この地に大年命(饒速日命)がやってきた時、那賀須泥毘古は惨敗、圧倒され和平した。大年命は那賀須泥毘古の妹の登美比売と結婚し、大和の王となった。

饒速日命(天火明)は須佐之男命の子供だが、古事記に瓊瓊杵尊の兄(天火明)としても書かれているのは、大和王権の正当性を作るためだったのではないか。

佐野命は熊襲の女王と結婚していたが、大和を統合するため別れ、五瀬命は佐野命を政略結婚させて大和に入れるつもりだったが那賀須泥毘古に反撃にあい、佐野命(神武天皇)が大和を制圧した後、饒速日命を系図に入れた。

佐野命と大年命は一世代違うので、佐野命が大和に行った時は、死んでいたか病気だったか。

大年命は大国主命とよく一緒にいたので同一人物とされるが別人。大国主命は多分、外国人。

大国主命は須勢理比売と結婚し、須佐之男命のあとを継ぐことになるが、須勢理比売の兄弟がそれを許さず、五十猛命(大年命の兄)を頼って熊野に逃げてきた。それで大年命とも仲良くなった。

大年命は大物主命。物部の主だから大物主命。大国主命は治水や都市計画で出雲の国を大国にしたから大国主命。

五瀬命が亡くなって、佐野命が神倭伊波礼毘古になった。熊野で熊に会い、高倉下(饒速日命の次男、天香具山命、尾張氏の祖)に助けられた。

高倉下は夢のお告げで神倭伊波礼毘古に霊剣を授け、その布都御魂の剣は物部氏の石上神宮に祀られている。饒速日命の長男は宇摩志麻遅命で物部氏の祖。

神倭伊波礼毘古が道に迷い、高皇産霊神が建角身命に道案内してやれと言い、建角身命は八咫烏に化身して神倭伊波礼毘古を道案内した。

玉依姫命が禊をしていた時に飛んできた丹塗りの矢で身ごもったのは、賀茂別雷大神で、自分の父は天津神だと言った。

上賀茂神社は賀茂別雷大神と神武天皇が祀られている。隠されているのは父親が違うから。帝王日嗣によると、玉依姫命は建角身命と関係があったという。

神倭伊波礼毘古一行が旅を続けていると、尻尾の生えた人たちと出会う。尻尾の生えた人たちとは獣のように扱われた人たちのことで、那賀須泥毘古や安日彦の扱いが酷かったということだろう。

呪術的な意味のある久米歌の久米氏や、賀茂氏、犬養氏、渡来氏は神魂系。(久米氏はカンボジアのクメールか?)

那賀須泥毘古は討たれて東北に逃げた。青森には日本中央の碑がある。日本を表す言葉に瑞穂の国、秋津島、秀真の国があり、秀真の国は東北を示していることが多い。

古事記には、神倭伊波礼毘古の戦いの最中、饒速日命がやってきて「天つ瑞(しるし)」を献上し、臣従を誓ったとあるが、帝王日嗣の口伝では、饒速日命は病気だった、別の口伝では亡くなっていたと言われている。大和と出雲を繋げたくてこの話を入れたのではないか。

神倭伊波礼毘古(神武天皇)は大和で大物主の娘の伊須気余理比売と婚姻したと描かれているが、本当は事代主の娘の媛蹈鞴五十鈴媛と婚姻した。

古事記の神倭伊波礼毘古が伊須気余理比売に出会うシーンでは、七人の乙女という表現が出てくる。七人の乙女というと、アルテミスに仕えるプレアデス星団を思わせます。ムーの民、賀茂氏の入れ知恵か?

大国主も渡来したユダヤの民っぽいし。商売繁盛などで祀られてると言うことは、商売も上手で、土地改革なども得意だったりして、街を発展させることがうまかったということ。ホツマでは、大国主(オオナムチ)の国が発展しすぎて脅威になったので、青森に島流しされたと書かれています。で、青森も発展させたらしい。

神武天皇が統治王(政体)、伊須気余理比売が祭祀王(国体)。
彦八井命(多氏の祖)や健磐龍命(息子の速瓶玉命は阿蘇国造の祖)は神八井耳命の息子。
綏靖天皇の后は物部系。物部一族は軍事、財産管理、倉庫管理を行っていた。安寧天皇の時の祭祀王は、岐須美美命(当芸志美美命の息子)。

安寧天皇の末弟、師木津彦命は、伊賀、名張、三野稲置の祖となった。師木津はその港を支配するということで、軍事担当だった。

「古事記」には、どんなに簡素な記述でも、祭祀王の名前を入れている。



倭国大乱

孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇、孝元天皇と、150年から200年にかけて、倭国大乱で吉備の温羅と戦っていた。

押すとか勝つという名前をつけている時は、負けている時。
名前にも吉備という名前が入っていて、吉備と戦っていたということが分かる。犬養氏、猿女氏、鳥取一族に領土を与える約束をして共に戦った。

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渡辺広勝さんが、小豆島は負けて逃げ帰る桃太郎と犬・猿・雉の姿だ、と言っていたことが思い出されます。

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三人の吉備津彦によって、孝元天皇の時代に吉備は平定され、若日子建吉備津日子命が桃太郎。桃太郎は日本武尊のお祖父さん。裏切るは騙して温羅を切ったこと。

神武天皇の時代、祭祀王は女性(イスケヨリヒメ)で、その後は祭祀王が男性になり、孝元天皇の時、祭祀王を女性(モモソヒメ)にしたら勝てた。

阿礼は歴史と神道を司る役職。綏靖天皇の時、祭祀王だった神八井耳命は多氏の祖。なので、太安万侶や稗田阿礼が古事記を書いた。モモソヒメの母も阿礼だった。統治王より祭祀王の方が上。

スクナヒコは参謀のこと。孝元天皇息子に少名日子建猪心命がいて、異母兄の比子布都押之信命(別名布都御魂大神、物部氏の祭祀権を譲り受けたということ)の息子は屋主忍雄武雄心命で、その息子が竹内宿禰。つまり、竹内宿禰には祭祀権と参謀権が受け継がれている。

欠史八代というが、孝昭天皇の御子を祖とする春日氏、孝霊天皇の御子を祖とする吉備氏、孝元天皇の孫を祖とする阿倍氏がいて、これらの天皇の存在を否定するのは愚かなこと。



卑弥呼とは

魏志倭人伝に書かれているのは孝元天皇の妹の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)のこと。

伊支馬(イキマ)と弥馬升(ミマシ)は垂仁天皇と崇神天皇のこと、弥馬獲支(ミマカキ)は景行天皇のこと、奴佳鞮(ヌカテ)は料理長のことではないか。

壱与(トヨ)は豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)で、その間の男王は比子布都押之信命で難升米(なしめ)は屋主忍雄武雄心命だったのでは?

豊鍬入姫命の時、都は桧原神社。神武東征で大和に移ったが、第4代懿徳天皇の時代、周りの国に狙われ九州に逃げ、第8代孝元天皇の時代に近畿に再び都を移した。倭迹迹日百襲姫命の時は、九州から大和に戻った時代。

竹内巨麿の竹内文書は400年ずれている。239年の日巫女はモモソヒメ。神功皇后はもっと後。藤原不比等は中国に対する警戒もあって、ずらしている。

第1世竹内宿禰は波留と波知の二人で、どちらも海を操ることが出来たという名前。神功皇后と一緒に朝鮮まで進撃している。



↑…とこんな感じで、魏志倭人伝の卑弥呼はモモソヒメのことだと。

邪馬台国に関しては、秋田・岩手の八幡平だという話もあって、地図反転説があったりするので。日本と黄泉国(四方津国・外国)の構図は、五次元→三次元へと、スサノオを通じて物質世界に落とし込む作業だったのかも。「古事記の言霊」では、崇神天皇から物質世界でしたっけ?

大和勢力が「東北→九州→大和」で、出雲勢力が「関東→出雲」みたいな構図があったのかも。で、魏志倭人伝に書かれた日巫女はモモソヒメだったというのも納得出来る。

思い出すのは寺岡玲子さんの霊視「闇の検証」。

箸墓古墳の被葬者は、刺青のある渡来系で、性行為をして神託を得るタイプだったと。対するホケノ山古墳は、もともとの現地の巫女で、大和朝廷は現地の巫女のやり方を踏襲することになり、箸墓古墳の被葬者を殺した。箸墓古墳の被葬者とされるモモソヒメがホトを突かれて死んだというのはそのことでは?西殿塚古墳の被葬者は、その二人よりも強い巫女(サイキッカー)だったという話。

その最強の巫女は誰なのか気になってたのですが、西殿塚古墳の被葬者は継体天皇の后と言われてるけど、年代が合わない。トヨとも言われていて、西殿塚古墳の被葬者がトヨで豊鍬入姫命だったら、諸々、辻褄が合ってくるなぁと思ったのでした。

豊鍬入姫命を調べると、

第10代崇神天皇と、紀国造の荒河戸畔(あらかわとべ、荒河刀弁)の娘の遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまくわしひめ、遠津年魚目目微比売)との間に生まれた皇女であると。

荒河戸畔は天道根命(あまのみちね)の4か5世孫で、天道根命は紀氏の祖神、神魂神の5世か7世の孫。ホツマでは、高木神の父が神魂神(ヤソキネ)。

荒河戸畔の父は鬼刀禰命で鬼の文字。

母を大海宿禰の娘の八坂振天某辺(やさかふるあまいろべ)とする異伝もあるらしい
大海宿禰の場合、安曇氏と同系らしい。

崇神天皇の母の伊香色謎命は、孝元天皇・開化天皇の后でもあり、巫女として力があったことが伺える。

父は大綜麻杵命、母は高屋阿波良姫。どちらも阿波忌部っぽい名前。父方の祖父は饒速日命系、父方の祖母は天津彦根命系。崇神天皇の兄弟には、竹内宿禰の祖の彦太忍信命がいる。

血統的サイキッカー度はどうでしょう?


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by cookiecount | 2021-08-31 12:12 | 歴史考察