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姫氏と西王母と因幡の白兎

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烏孫氏、公孫氏、月氏(サカ族)と来て、あと気になるのは姫氏。

姫氏は松野連系図から遡れます。

松野氏:呉王夫差の子・忌が日本に渡って帰化人となり、筑紫国に至って、肥後国菊池郡に住んだという。さらにその子孫・松野連(まつのむらじ)が、筑紫国夜須郡松野に住して、姫姓から松野姓に変えたのが始まりという伝承がある。

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松野連系図は、呉王夫差から続く系図で「呉王夫差の皇子・忌(き)が孝昭天皇三(前473)年来朝し、火の国(熊本県)菊池郡山門(やまと)に住む」と記され、倭の五王(讃・珍・済・興・武)や卑弥呼の名前があるとされているのですが、系図上には、日本武尊に殺されたとされる筑紫の王、川上梟帥の名前や、景行天皇の謀で父の厚鹿文殺しに手を貸した後、景行天皇に殺されたという市布鹿文と、後に火の国造となった妹の市鹿文の名前があり、難升米(邪馬台国の卑弥呼が魏に使わした大夫)の名前もあったりします。

松野連系図と符合した日本武尊の戦い

呉(BC770​-BC221・三国時代の呉とは違う)は中国春秋時代にあった国で、

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さらに遡ると姫氏という氏族にたどり着き、姬姓は元々、夏朝(BC1900年頃-BC1600年頃)の創始者、禹の姒姓と同祖で、黄帝の曾孫、嚳(こく)の子孫の后稷(こうしょく)が姫姓の祖先なのだそう。后稷の子孫の古公亶父(ここうたんぽ)は周(BC1046年頃-BC256)の始祖で、その曾孫の武王が殷を滅ぼして、周王朝を築いたのだとか。


周王室から分家した姬姓の諸国として、呉・燕・晋(もとは唐)・韓(晋の分家で分岐国)・魏(もとは畢、晋の分岐国)・管・魯・鄭・衛・霍・虢(東虢/西虢に分岐)・曹・蔡・虞・滕・随・韓(戦国の韓とは別国家)・劉などがあるらしい。(諸説ある)

ものすごく多いんですけど…。

東の果ての日本は、色んな民族が最終的にたどり着いた土地のようで、日本を表す呼称として、平安時時代の東海姫氏国というのがあるらしい。

三国時代の『魏略』逸文に、「(倭人に)昔のことを尋ねると、我々は太伯の子孫であると答えた」とあるそうで、呉の泰伯(たいはく・周の太王の子・紀元前11世紀ころ)の子孫が日本人だという説があり、泰伯の姓が姫であることによる。

古公亶父の子、太伯と虞仲の兄弟は国を離れ、文身(いれずみ)をして、「われわれはもう、王になるにはふさわしくない」と言って、太伯は呉の国を興したと『史記』に書かれている。

魏志倭人伝の「男子は老若みな文身(いれずみ)をしている。それによって水に潜ったときに大魚の害を避けることができる」という記述は、倭人がいれずみをした太伯の子孫であることを意識して書かれているというのが定説。

日本は東海姫氏の国?

倭の五王は、5世紀初頭から1世紀近くに渡り、晋、宋、斉などに遣使入貢した、讃・珍・済・興・武をいい、『宋書』に登場する。

稲荷山古墳出土鉄剣の銘文から、武=雄略天皇ではないかといわれていて、そうすると倭の五王は、17履中天皇、18反正天皇、19允恭天皇、20安康天皇、21雄略天皇となるが…。

松野連系図によると、卑弥呼は周→呉→熊襲の子孫で、姫氏だったらしい。というか、さらに遡ったら伝説の人物、禹にたどり着くらしい…。

禹(う)は中国最古の王朝、夏王朝の祖始で、黄河の治水を成功させ、父の鯀と同一神で、龍蛇の姿をした神だったという説もある。

かつて中国は禹州あるいは禹城と呼ばれていた。

帝堯(ぎょう)の時代、黄河の氾濫が止まなかったため、禹の父、鯀(こん)に治水を任せたが、9年経ち氾濫はさらに酷くなったので、舜(しゅん)を登用。

舜が見に行くと、鯀は羽山(うざん)で死んでいた。(堯が舜へ天下を譲るのを反対したため羽山で誅されたとも、祝融(火の神)によってとも)

舜は鯀の子、禹に事業を引き継がせた。

『山海経』海内経では黄帝の孫にあたる白馬(はくば)という神が鯀。『史記』舜本紀には、鯀の子孫たちが東の方角にすむ異民族である「東夷」たちになったと記され、『山海経』大荒南経では、讙頭人(かんとうじん)たちの祖先であるとされており、鯀の妻の士敬(しけい)が炎融(えんゆう)を生み、その子が讙頭であるとされる。

讙頭人は南方に棲んでいたとされ、讙頭国は羽民国の東南にあって、讙頭人は人間の姿をしているが体に羽根が生えていて、口には鳥のくちばしがあるとされている。

穀物やヤナギの実をよく食べ、また魚を捕るのがうまいと。この讙頭国の人々は、驩兜(悪神)の子孫たち(大荒南経の記述では、鯀の子孫)。

治水神、禹王信仰は日本でも見られ、水害が多い地区を中心に107カ所見つかった。

沖縄県には、以下の13件の禹王遺跡が確認されている。

禹の字は、古代文字の九と虫とを合わせた文字で、九は伸ばした手の象形。虫はもともと蛇や竜などの爬虫類の意味、雄の竜の象形。九と虫を合わせた禹は、雄の竜を掴む象形で、洪水と治水の神話の神と伝えられる伏羲と女媧を意味。

禹の紋が背に縫い付けられた法被が、慶長宗論、慶長法難で知られる法華宗不受不施派の僧・日経の故郷(現在の茂原市)に遺っている。その法被を着る祭には、黒戸の獅子舞がある。

禹(Wiki)

禹って兎っぽいですよね。

奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)や大阪の住吉神社では、ウサギは神様のお使い。
ウサギは月の世界の生き物で、お月様の使者。太陽の使者は3本足のカラス。ウサギは崑崙山の西王母のお使いでもある。
ウサギが神様のお使いというのは、この西王母信仰から来ている。
西王母のお祭りが3月3日の桃の節句で、もともとは天地を支配し不老長寿を司る、西王母のお祭りなのだとか。
山陰世界では、大国主こそが西王母の代理人で、現実世界・地上の主。
鵜戸神宮に伝わるご由緒では、山幸彦(ひこほほでみのみこと)の妻、豊玉姫はワニ。
ということは、妹の神武天皇の母の玉依姫命もワニ。
玉依姫は、千葉の一宮「玉前神宮」にも祭られている。
ワニ族は、海に生業をえながら、日本各地に土着している人たちで、母系相続の民族だった?
鵜戸神宮のご由緒では、自分の故郷に帰られたという豊玉姫は、長崎県は対馬の海神神社に祭られてい、
古くは、わだつみ神社と呼ばれていた。
渡来系のワニ(和爾)族は奈良の天理市付近に住んでいた。

因幡の白兎とワニのお話

白川静の説では、禹は本来蜥蜴や鰐・竜の姿の象形文字であり、起源は黄河に住む水神。
形が長細いものを総じて禹という。
因幡の白兎は龍。白兎を騙した鰐は八尋鰐。
大国主に禹が味方して、同じ禹の鰐族が船を出すが、見返りがなかったから報復した。
禹は治水工事の後、仕事に打ち込みすぎて、半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになった
列子楊朱第七の「禹は偏枯なり」を訳したもの。

因幡の白兎は中国の禹?

治水工事でボロボロになった禹と、因幡の白兎が重なります。

因幡の白兎で伝えたかったのは、禹の伝説だったのかも。

伝えたのは忌部氏。忌部氏の天富命は、神武東征で橿原宮を造営し、阿波国に続いて房総の開拓をしたらしい。当然ワニ族の船を使って移動してたんだろうなと。

天富命(wiki)


ホツマツタヱでは、中国の西王母は日本に来て豊受大神に教えを請い、キクリ姫と姉妹になったと伝えられています。

ホツマツタヱを書いた勢力(景行天皇)は、西王母に馴染みがあって、日本の神話に盛り込んだような気もしますね。

伊勢神宮も景行天皇の時期に造られています。


下のブログでは、熊襲禹族と、姫氏(木氏、紀氏、基氏)、天(海人)族について説明されています。


卑弥呼も紀氏の子孫で、本名は刀良(とら)。

紀伊などの地名の場所は、紀氏が移り住んだ場所で、前玉稲荷山古墳の「記のオのワケの臣」の記も、近くに紀伊郡があるので、紀氏だとする説もある。

紀氏の国は中国に約50か国もあって、ほぼ全部が戦国時代に秦によってつぶされ、多くの紀氏が日本列島に逃げて来た。

九州倭(ヰ)政権の王の一人と考えられる、5世紀の高良玉垂命も紀氏の一族で、景行天皇や倭の五王(太宰府)を誕生させ、6世紀始めの磐井の時、熊曾於族の継体天皇(福岡県朝倉市に都があった)に大王位を奪われ、一族は名を変え、全国に四散。

熊襲は紀元前5~4世紀ごろ?から、製鉄・製錬技術、武具の製作技術、馬の利用方法、造船技術などの技術を持って、大陸からのボートで来た人々で、犬祖伝説や墳墓の形が特徴的だった。

彼ら自身は熊曾於(くまそお)族と自称し、熊には輝かしいという意味があり、「我々は輝かしいソオ族である」と誇っていた。中国でも少数民族の総称をソウと呼んでいるらしい。

鹿児島県曽於市の名前や、宮崎県串間市から玉璧が出土している。

大和勢力は熊襲禹族を狗人(いぬびと)とか隼人(はやひと)」と呼び、蛮族にした。

熊曾於族の氏族は、園、薗、日下部(草=くさかべ)、鴨(加茂)、内(宇治)、葛木、曽我(蘇我)、袁(えん)、牛氏らがいたと思われ、武内宿祢や、その血縁の崇神天皇、開化天皇も熊襲禹族系。

熊曾於族は、伊都(倭奴)国を造ったニニギらに一旦、支配権を奪われ、6世紀始めに継体天皇を生んで、紀氏から支配権を取り返したと考えられる。

天族(海人)はニニギの命をその祖としている。

AD57年、中国に使いを出し、漢から「漢委奴国王」の金印を受けた。

東日流三郡志は「ニニギらは中国南方の寧波(ニンポウ)から来た」と伝えている。

海を天と変え、天から降臨したとしたが、実際は、黒潮を利用して薩摩半島南端の阿多に渡来してきた人々。

阿曇、井(いぃ)、久米(クメール?)、物部(ものべ)、額田(ぬかた=泥の鋳型)、難(団、壇、段)らがいたと思われる。

隋書は列島の大王の姓を「阿毎(あま)」と記録し、男王は帯(たらし)彦、あるいは足(たりし)彦(多利思比孤)、妻は君(きみ・?弥)、皇太子は若美田振(わかみたふり?(和歌弥多弗利)と記録。

国の中心に阿蘇山があるとし、現在の福岡県京都郡みやこ町にいたらしい。

朝鮮半島の百済や新羅を属国にしてその王族を人質にとっていたので、タリシヒコは北方騎馬民族の鮮卑(せんぴ)族出身である「隋の王」とは対等であると考えていた。(隋も東夷)

熊曾於族と紀氏(卑弥呼)勢力は4世紀ごろ合体した。天族政権は実質的には2~6世紀、熊曾於族と紀氏勢力に支配されていた。

熊襲が犬族で、継体天皇、崇神天皇、開化天皇、竹内宿禰、蘇我氏、葛城、賀茂とか。
姫氏は卑弥呼、高良玉垂命、景行天皇や倭の五王。
天孫は安曇、物部、ニニギ、帯(たらし)彦。

どうでしょう?
ホツマツタヱで調べると、賀茂氏は対馬にいた阿比留氏と同系で、海人族かなと思いました。鰐船→鴨船→亀船の順で早い、と書いてありましたね。他の氏族と婚姻を結んだかもだけど…。



おまけ。

1神武天皇-2綏靖天皇-3安寧天皇-4懿徳天皇-5孝昭天皇-6孝安天皇-7孝霊天皇-8孝元天皇-9開化天皇-10崇神天皇-11垂仁天皇-12景行天皇-13成務天皇-14仲哀天皇-15応神天皇-16仁徳天皇-17履中天皇-18反正天皇-19允恭天皇-20安康天皇-21雄略天皇-22清寧天皇-23仁賢天皇顕-24宗天皇-25武烈天皇-26継体天皇


中国のことわざと地図。


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ちなみに武王が滅ぼしたという殷(BC17世紀頃- BC1046)は、こんな感じの青銅器が作られていたらしい。宇宙人!

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三星堆遺跡(紀元前2000年頃もしくはそれ以前)の出土品にも似てる?

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by cookiecount | 2021-06-11 13:13 | 歴史考察

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