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日高見国

大祓詞を読んでいると、地名らしきものが色々出て来るので気になってきます。
伊頭は、伊豆を思い出し、八重雲は出雲を、高山は位山のある飛騨高山を思い出します。




日本の最初の神は、イザナギ、イザナミと思われていますが、ある説によると、大祓詞にあるカムロギカムロミはプレアデスの流刑地、ニビル星のアヌンナキのことで、アヌンナキから和魂(荒魂の反対)としてイザナギ、イザナギから和魂としてイザナミが分かれたのだとか。5億年前にアヌンナキが妻籠に来て、1億年前にイザナギイザナミ達が来て、逆鉾でエネルギーの強い日本国土を作りニビル星に戻ったんだそう。

イザナギ、イザナミは巨人だったらしい。

そして、高天原は富士山アタリのこと?

高山の末 低山の末に登り坐て 高山の伊褒理 低山の伊褒理を掻き別けて

の伊褒理(いぼり)も何でしょうね?

神の高山(良心神)、短山(素直信仰)に上がりて聞こしめせ



「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に」という部分もあって、これは神社界では「禊祓詞」、神道系・諸教系の新宗教の教団では「天津祝詞」と呼ばれ、「身禊大祓」とも呼ばれている短縮バージョンっぽいものにも入っていて、



宮崎県宮崎市阿波岐原町ではないかと言われているようですが、福岡県福岡市西区小戸に小戸公園というのがあって、そこが小戸かもしれません…。「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群も近いです。阿波岐原は住吉大社の天津神社という説もあるようです。ココ、ポツンと離れて祀られていて気になっていたとこです…。


明治以降、一般的に奉唱されている現在の大祓詞は、延喜式に著された大祓詞と中臣祓詞(中臣祭文)が混同されているらしく、中臣祓詞は、中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから、この名前で呼ばれているのだとか。6月と12月では異なる文言であったが、6月の方だけが残ったらしい。中世には陰陽道や密教と結びつき、陰陽道の呪言や仏教の経典のように、唱えるだけで功得が得られると考えられるようになったとか。中臣氏は物部氏とつるんで仏教受容問題で蘇我氏と対立した、あの中臣鎌足の中臣で、天児屋命(アメノコヤネ)を祖とし、後に藤原氏を名乗っております…。藤原氏か!陰謀のニオイが…。

で、大祓詞には、

四方の国中と 大倭日高見の国を 安国と定め奉りて

とあって、四方の国中と大倭日高見の国を日本としたらしいのですが、日高見国?日高見国って、ホツマツタエにある国常立と八人の王子に出てきた、タカミムスビの政治拠点、宮城の塩竈市・多賀市辺りのことじゃないの?って気になって調べてみました。

日高見はタカミムスビのタカミという音が入ってますね。
日高見国に「東日流外三郡誌」を感じる人も多いらしい。アラハバキ族?



日高見国というのはwikiによると、

日本の古代において、大和または蝦夷の地を美化して用いた語。『大祓詞』では「大倭日高見国」として大和を指すが、『日本書紀』景行紀や『常陸国風土記』では蝦夷の地を指し大和から見た東方の辺境の地域のこと。


で、「大倭=日高見国(賀茂真淵・本居宣長 推し)」か「大倭+日高見国(喜田貞吉・高橋富雄 推し)」ととらえるかで解釈が異なるらしい。

異説「日高見国」拾い読み – 人そして川

日本書紀には、景行天皇に武内宿禰が、

東の辺境に日高見という国があります。住民は男女とも髪を椎(ツチ)のような形に結い、刺青をしています。勇敢で手強い性格です。その国の民を総て蝦夷(エミシ)といいます。土地は肥沃で広大です。討伐して、国を奪いましょう

と奏言した、と書かれていて、
常陸国風土記には、信太(した)郡の条もあり、

筑波郡と茨城郡から七百戸を割いて、信太郡にした。この信太の土地は、もと、日高見国なり
黒坂命が…日高見国に到った。…それで、(日高見国を)信太国という

と書かれているらしい。

常陸(ひたち)国は、ひたかみのくにへの道(ひたかみみち)の意味で、「常陸」(ヒタチ)は、「日高見道」(ヒタカミミチ)の転訛。「北上川」のキタカミはヒタカミで、本来は「日高見川」なのだとか。




縄文時代のものと言われる日本で最初の文献、ホツマツタヱには「八人の御子達のうち、ヱの尊、トの尊、タの尊が治めた方壺(宮城の塩竈辺り)、蓬壺(富士山)、沖壺(琵琶湖)という祭政の三大拠点があった」と記され、

徐福は始皇帝(前246-前221)「蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいしゅう)という仙人が住んでいる山がある」と手紙を送り、

武内宿禰が蝦夷を撃てと言った景行天皇の在位は4世紀前半と推定され、

蝦夷討伐に向かって、アテルイとモレを説得したという坂上田村麻呂(758-811)の話もあり…。

日本の歴史は何回塗り替えられているのだ!混乱するじゃないか!

持統天皇(645-703)の時代はとりあえず怪しいですよね。
富士王朝のスサノオノミコトやニギハヤヒのことが隠されていたり、蘇我氏がイルカだったりウマコだったりって名前もおかしい。二人合わせて馬鹿になってしまう。蘇我入鹿が聖徳太子で、それも隠された。ニギハヤヒの奥さん、瀬織津姫のことも隠したらしい。持統天皇に誰かが嘘を吹き込んだとか?隠したってことは、ホントウのことを知ってたということでもあって、それはそれで凄いケド…。

日高見国、謎解きのためのキーはなんだろう?ホツマでニギハヤヒの子供とされるオシホミミか?

オシホミミは、記紀には、天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五皇子の長男とされ、天孫降臨の際、息子のニニギを下界に送った神として書かれています。

全名を正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊といい、何とも勇ましい名前ですが、ホツマでは体が弱かったと書かれています。


オシホミミは、アマテルとセオリツ姫の間に生まれた皇太子。アマテルがハラミ山(富士山)麓のヤスクニ宮からイサワ宮(伊勢か?)に都を移した後、フチオカ端のオシホヰで生まれ、斎名はオシヒト。

オシホミミは、春宮となって近江の多賀に宮居しタガ若宮と呼ばれるが、生れつき病弱だったようで、オモイカネ・ヒルコ夫妻が子守となって職務を代行していた。

オモイカネが世を去ると、その父の7代タカミムスビ、タカキネが、代の殿(こうのとの)に就任し、オシホミミに代って中央の政を執る。

その後オシホミミはヒタカミのケタツボに都を移す。この都はタカノコフ(タカの首)と呼ばれた。そこで代の殿タカキネの娘タクハタチチ姫(栲機千々姫)を娶る。

そしてタカの首にて三種宝をアマテルから受けて即位する。これが三種宝の授受の初である。そしてフツヌシ (経津主神)とタケミカツチ(武甕槌命)が左右の臣に任命されたようだ。

タクハタチチ姫との間にクシタマホノアカリ(櫛玉火明命)とニニキネ(瓊瓊杵尊)を生む。

箱根のヰツヲハシリの洞に隠れ箱根神と贈り名される。後年、后のタクハタチチ姫は鈴鹿峠の洞に葬られ鈴明の神となる。





日高見に遷都して、懐かしい滋賀の多賀の名を付けたらしい。オシホミミは命を狙われていて、箱根のもとになった箱根神と呼ばれたらしい…。箱根神社に眠っているのか?



八人の王子については、ニギハヤヒ(アマテル)の子供達とのことですが、スサノオの子供も八人で、この辺、すり替えが起きてるのか?

タカミムスビの娘であり、オシホミミの奥さんと言われているタクハタチチ姫(栲幡千千姫命)はスサノオノ夫人の1人で、ニギハヤヒの母と言っている方もいて、ニギハヤヒは殺され、オシホミミの子供と言われる火明(ホアカリ)と邇邇芸(ニニギ)ですが、ニニギノミコトは天照大御神とスサノオノミコトの子供、ニニギとコノハナサクヤヒメの子がホデリ(ホアカリ・海幸彦)とホスセリ、ニニギと他の奥さんとの子供がホオリ(山幸彦)、ホオリの子供がウガヤフキアエズ、ウガヤフキアエズと豊玉姫の子供が神武天皇となり、

6000〜5000年前 富士王朝(ホツマツタエ)が栄えていた頃 → ニニギの王朝 → 3000〜2000年前 ウガヤフキアエズ王朝(日向三代)→ 神武天皇(BC660)

になるのだとか。



神様(ご先祖さま)たちは、タカミムスビの国、日高見国と大倭と四方の国を合わせて日本国としてまとめ、再建していったのかもしれません…。


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by cookiecount | 2019-04-17 11:23 | 神社の秘密

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