「ありがとう」は幸せになるための最強の言葉だと聞いた事があります。
マスターヒーラーの小林健さんは量子波と言って、ウンチが出たら、ウンチに向かって「ありがとう」と言うそうです。何となく、掃除をしながら色んなものに、いつも私たちを助けてくれてありがとねーと言ってみたりしています。
電磁波被害が心配なスマホも「ありがとう」と言った後のOリングテストではOKが出ました。体に悪いと言われるものも「ありがとう」という量子波の方が強烈で打ち消されてしまうのでしょうか?
病気も感謝すると消えると言います。「ありがとう」のエネルギーは何でしょう?愛?
それはポジティブエネルギーや「サヌキとアワ」のサヌキと同じものなのか、はたまた別次元のものなのか?
ヘブライ語で「アリガトウ」はアリ・ガトで、私にとって幸福です(神への感謝の言葉)という意味があると言われますが、「私は幸せになります」と宣言してる意味だとも聞いた事があります。
言霊というのがあって、宣言すると現実化すると聞いた事があります。
ありがとうとよく言う人は、「私は幸せになります」と宣言し続けているということのようです。
お庭が有名な京都龍安寺には、「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言を、謎解き風に図案化し、「吾れ唯だ足ることを知る」と書かれた「知足のつくばい」があります。

真ん中の四角を口として、隣り合ってる字をくっつけて一つの漢字として上から時計回りに読むと「吾唯足知」となります。
「つくばい」とは、茶室に入る前に手を清める手水鉢(ちょうずばち)のことで、こちらは水戸藩主徳川光圀公の寄進と伝えられているそうです。
足りない足りないと思いながら過ごす事は心が餓鬼のようになっていて、現代ではついついそういう心理状態に陥りがちなのですが、心にゆとりを持ちながら常に満ち足りていると感じながら過ごすことは、丁寧に暮らすということに繋がるのかなと思います。それも量子波?
引き寄せの法則では、なりたい自分になるために、まず余裕のある自分をイメージすると上手く物事が進むようです。波動が先ってことらしい。
私の場合、焦るとマシンが壊れたり、色んなことが絶不調になってしまうのですが、それも量子波?
こんな事が起きないためにも、ぜひ思考コントロール術を身につけたいものです。
どこかで、「海で遊んでいると海の水がだんだんお金に変わっていく(湯水のようにお金がある)」というイメージをすると、お金が入ってくるよと書かれていたので、イメージしてみたら、本当に仕事が入ってきました。
気功師の片野貴夫さん曰く、お金が500円でも余ってたので、「お金が余ってる」と言っていたら貯金が増えたそうです。
昔、引き寄せが得意と言ってる人がいて、「お金についてはイメージ通りなんだけど、結婚は苦手なんだよね」とも言っていて、結婚はどうイメージすればいいのだ?と考えたことがありますが、こうなりたい時はこうイメージする、みたいなマニュアル本が発売されないかな、と思ったりします。探せばありそう。
引き寄せ的には、願った時点でもうすでに叶っているのだそうです。結局は、願った現実を引き寄せるかどうか。自分自身を信頼しているかどうかということなのでしょうか?
昔、フリッパーズ・ギターの曲に「ヘッド博士の世界塔」という曲があって、これって般若心経?と聞く度に思ってました。
世界はあなたの思いのまま、みたいな哲学的内容の歌で、般若心経は「全ては幻想であって、悩みも不安もすべて幻だ」というような内容だったと思うのですが、転じて「全ては幻で、自分の願った通りのことが起きてるんだよ」というような、引き寄せ的に「意識を集中した現実が返って来る」=「自分の思い通りに全て現実化している」という解釈でなんとなく同じかなと思ってしまったわけです。
般若心経というとサンスクリット語ですが、最後の
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶
ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカー
はマントラであって、サンスクリット語でも解読できないといいます。
困った時のヘブライ語で、意味のわからない言葉はだいたいヘブライ語で解読できるんじゃないの?って調べたら、苫米地英人氏が4000年前のシュメール語で訳せたそうで、
“I (we) shall, (let me/us) be, I shall (let me) be, let not le me be, let me must not be, so therefore, I shall (let me) be.”
とありたい、とありたい、とありなくないとありたい、からこそとありたくない、それでとあるのだ。→ ありたくないとありたいからこそあるのだとなったそうで、shallもlet me beも日本人には解釈が難しく、shallは未来の出来事で「…だろう」とか「…しよう」とか訳せ、let meは「私に〜させて欲しい」の意味、beは「存在する」とか「〜になる」とかの意味で、分かったような分からないような気になりましたが、ちなみに中村訳では、「往けるものよ、往けるものよ、彼岸に往けるものよ、彼岸に全く往けるものよ、悟りよ幸あれ!」となっているそうです。
うーん…。
高校生の時、授業で荘子の「胡蝶の夢」という漢文を読み、それ以来この話が大好きなのですが、「胡蝶の夢」は、夢の中で蝶としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という話です。
荘子は老子とならんで道教の祖師の一人で、ここでは夢と現実との対立が提出されており、どちらが真実の姿か、それは問題ではなく、そのいずれも真実であり、己であることに変わりはなく、肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいのであって、「夢が現実か、現実が夢なのか?しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」と荘子は言っているらしい。
引き寄せなのか、あるがままなのか…。あるがままが引き寄せなのか…。混乱する!